国を失うというのは悲惨です。
人類の歴史で幾度となく繰り返されてきました。
紀元前5世紀ごろに商業で大繁栄をしたカルタゴは、3次にわたるポエニ戦争でローマに破れ滅亡しました。亡国ではなく「滅亡」なのです。カルタゴが再び復活することがないように、カルタゴ人は虐殺されるか奴隷にされ、港は焼かれ町は破壊された。陥落時にローマが捕虜としたのは五万人にも上ったとされる。カルタゴの土地には雑草一本すら生えることを許さないという意味で塩がまかれたとも言われています。
【野菊】に紹介されているナスル朝は、経済的な衰退に場当たり的な内政・外交の結果亡国の憂き目にあったようです。
誰もが知っているのはイスラエルでしょう。1948年に現在のイスラエルが建国されるまで、ユダヤ人は2000年にわたって亡国の民となってしまったのです。国を持たないユダヤ人がどれほどの辛酸をなめたことか・・・。
現在に目を転じればシナによって侵略されたチベットと東トルキスタンの悲劇があります。この2カ国についてはエントリーでも取り上げましたが、外国に征服された民がどれほどの悲劇に見舞われるのかを如実に示しています。
かく言う我が国も二度にわたって独立を脅かされる事態を経験しています。一回目は元寇、そして二回目は19世紀の欧米による植民地主義です。元寇の際には国が一致団結して強大な元を退けています。もちろん、勇猛に戦った当時の鎌倉武士の功績が何よりも大きいですが、当時の造船技術では朝鮮半島から海を渡って日本を攻撃することが困難であったという、我が国にとっての大きな利点がありました。
しかし、幕末から明治にかけての西欧列強のアジア支配の脅威は深刻でした。アジアの国々の中で我が国だけが独立自存をかけて国運を賭けた戦に挑んでいったのです。大東亜戦争、特にアメリカとの戦争に突入したことを無謀な戦争を仕掛けたと言われていますが、日清戦争も日露戦争も当時の国力の比較をすれば対米英戦争に負けず劣らず無謀な戦だったのです。
米英との戦争状態に入ったときの彼我の国力の差は15倍と言われています。しかし、日露戦争に突入したときの国力の差は実に30倍に達しているのです。日本が日清戦争に勝利したことは世界中を驚かせました。しかし、日露戦争に勝利したことはさらに大きな驚きをもって迎えられたのです。
我々の先達は決して他国に隷属することを潔しとはしませんでした。悠々たる歴史を持つ我が国の独立を守り抜くために、言ってみれば絶望的な戦に挑んだのです。
これはひとえに、外国軍にる支配を拒み、国民の安寧を第一とした国策によるものだったはずです。人間はどうしても戦わなければならない場面に遭遇することがあります。その時に自らが傷つくことを恐れれば永遠に他者に隷属することになってしまうのです。
日露戦争後の欧米では様々な論者が大日本帝国の勝利の分析をしました。その代表的な例を挙げておきます。
「こうした愛国心の熱気こそ、平時と戦時のいずれを問わず、日本が成功を収めるに至った主因である。そうした日本の体験は、国というものは自ら「かくあらん」と決意すれば、その信ずるとおりの国となるもであることを立証している」
「公の善のために個人の利害を度外視することは、一人の臣民として不可欠の義務である。利己主義は協力の妨げとなり、協力無くしてはいかなる偉業も達成することはできない」
「ロシア人は、その大多数が愛国心も強く、信仰する宗教のロシア正教も信者たちに愛国心を説いている。それはしかし、日本人の燃えるような愛国の情熱とは比ぶべくもない。」
「ロシア軍の兵士は、危険な立場に立たされたときは確かに勇敢である。しかし、それは大抵の場合は単なる蛮勇であって、近代戦の最も重要な要素である知的行動と科学知識を欠いている。」
~ヘンリー・ダイアー著「大日本」~
黄文雄氏は「黄文雄の大東亜戦争肯定論」の中で、上記のダイアーの言葉を引用した後、「ロシアでは兵士達の多くが無理やり召集された者で従軍を嫌っていた。ロシアは近代化を目指しながらも、日本のような愛国心を涵養するための国民教育の普及に関心を持たず、国民の四分の三は文盲という状態だったのだ」と指摘しています。
愛国心とは何も好戦的な感情ではありません。自分が生を受け、そのシステムの中で育んでくれた祖国に対する純粋な愛情です。
それを意図的に捻じ曲げてきたマスコミと日教組の罪は重大です。
我が国のマスコミの多くは、本日の正論が主張しているように、外国の(特に特ア三国の)日本批判に便乗し、それを日本政府の当局や当事者に突きつけて、それ見たことかと得意になるという卑劣な報道を行い、本来なら素直に育まれるはずの愛国心を捻じ曲げるようなことを行っています。
さらにこの手口の重大な問題点は、自国の批判を外国政府や外国人にやらせ、それに便乗する点にある。有名な中国の古典の『春秋左氏伝』の僖公元年の条に「国悪を諱(い)むは礼なり」という時々引用される言葉がある。外国では、自国の悪口をつつしむのが礼にかなう、という意味である。それは当然である。自国や同胞のことは、良きにつけ悪しきにつけ、また程度の差こそあれ、自分にも関係と責任がある。自分で処理すべきもので、他人の手を借りるのは恥である。
それなのに、恰(あたか)も自分が中国人か朝鮮人になったような口調で得意気に自国批判をするのは、どうかしている。もし外国人が日本に来て、そういうことをすれば、われわれはそんな外国人を尊敬するであろうか。
まさにその通りだと思います。卑しい利己心と、外国勢力を引き込むことで自らの立場を有利にしようとしている指摘も正論だと思います。自らの祖国を貶め、あえて歴史を捻じ曲げるような報道を行うことは、見苦しく卑劣であるばかりでなく、国を滅ぼすことにつながるとは考えないのでしょうか?
教育基本法改正案の審議が行われていますが、愛国心は教育するものではないというような批判があります。その通り、愛国心は自然に育まれるものです。しかし、それは黙っていて育まれるものではありません。祖国の歴史に誇りを持てるような歴史教育や、古典を含めた情緒を涵養する国語教育なども必要です。
教育現場で行われているような日の丸と君が代に対する侮蔑感を植えつける教員は、デタラメなマスコミと並んで我が国を亡国に導こうとする勢力と言っていいのではないでしょうか?
国民国家においては、国民の一人ひとりが国を代表しているのです。国を愛すること、国を守ることは自らと愛する家族を守ることと同義なのです。それをあたかも政権と国民が対立する存在であるかのように論じることは間違っていると思います。
外国の力を利用して自己の栄達と主張の実現をはかる卑劣な言論人や政治家よ、恥を知られよ。歴史の審判は決して生やさしくはないであろう。
できれば堂々と名指しで言ってもらいたいくらいの正論です。そして、マスコミに要求したいことがあります。全ての記事とは言いませんが、最低でも政治・外交に関する記事については全てを署名記事にしてはいかがでしょうか?
マスコミが社会の公器を自認するのであれば、自らの発言に責任を持っていただきたいと思います。
臣は君親之悪を言うべからず。為に諱むは禮なり。
司馬遷は、臣は君や親の悪口を言うべからず、其のために言わないのが禮であると言いました。親の悪口を言い募るのも、国の悪口を言い募るのも精神の卑しさという点では同じだと思います。
http://kagemitsu.iza.ne.jp/blog/trackback/77336
2006/11/24 16:37
2006/11/24 18:41
Hallo lieber Herr Koryu,
素晴らしい力作ありがとうございました。
あたしが数年前にカルタゴの遺跡に立ち考えたことは、やはりシナの脅威に直面するわが祖国日本のことでした。
今、シナ擬似帝国主義の軍拡の対象は我が国であることは明らかですし、敵国が我が国をしてカルタゴの運命をたどらせようとしているのもはっきりしています。
ご指摘のように日本は過去二度大きな国難に見舞われました。いままた時代遅れ時代錯誤のシナ擬似帝国主義の硬軟とりまぜた侵略を前にしています。
そしてソフトな侵略のほうはすでに思想戦争の様相を呈しています。
あれら反日ファシズムのメデイアに抗して我々の出来る限りの思想戦を闘い抜きましょう。
小龍景光さんの理論と気概には大いに期待しています。
2006/11/24 20:05
すばらしいエントリをTBして頂き、ありがとうございます。
私も愛国心を否定している人に教えて頂きたい。「あなたがたの望む国はどのような国なのか」「中国、北朝鮮の愛国心は否定しないのか」と。未だ、この答えを聞いたことがありません。
2006/11/24 20:48
阿比留様、こんばんは!
日教組の犯した罪は重大です。そして、マスコミ(含出版社)と「進歩的文化人」も同断です。
日教組に目の敵にされる産経の正論路線は日本の言論界において貴重なものだったと思います。
2006/11/24 20:58
Guten Tag, liber Herr Marco!
カルタゴ遺跡にいらしたのですか!私も一度訪れたいところです。
私も現代は第三の国家存亡の危機だと思っています。しかし、明らかに流れは変りつつあります。
ネット世代に多大な影響を与えたブロガー達の功績は偉大です。それに続く人々が一人でも多くなることを願ってやみませんね。
声をあげる人が一人増えるごとに思想戦の勝利に一歩近づいていくのでしょう。そう信じています。
2006/11/24 21:00
sakuratouさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。
私も彼等からまともな回答を聞いたことはありません。
まともに回答しようとすれば、自らが中国や北朝鮮の手先だということが明らかになるからとしか思えません。
2006/11/24 22:06
こんばんは。毎回力の入ったエントリありがとうございます。先日の阿比留瑠比さんのブログのコメントで「甲子園の地方大会で国歌斉唱時に起立しただけで、他社から笑われ、バカにされる始末」を読んで頭がクラクラしました。産経以外は本当に大丈夫か?とあらためて思いました。TB先の市村さんがお書きになった正論を読みました。中韓経由で便乗批難する方法、本当に卑怯者です。今まで表に出なかったことが明らかになることはネット社会の良い面ですね。産経が新聞2.0をはじめたのはもっと良いことかと(^^)
2006/11/24 23:23
nekoni-matatabiさん、こんばんは!
コメントありがとうございます!
先日の毎日佐賀支局の一件といい、仰け反ってしまうことが多すぎます・・・
でも、朝日が異様に強い権威を持っていた頃から、敢然と戦いを挑んだ言論人もたくさんいました。現在のようなネット世論の支援がない頃の正論には感服します。
新聞2.0は素晴らしい試みですね!
2006/11/25 00:35
小龍景光様
読みながら目頭が熱くなってきました。
息子にも読ませようと思っています。
TB本当にありがとうございました。
教育基本法改正案も参議院での審議に入り、テレビでは愛国心論議が再び熱を持ってきた感があります。
批判的な方のコメントはいつも同じ。
「愛国心は強要されるものではない」
都合のいいコメントですね。
教育基本法は国民統制するためのものではなく、国の教育の方向性を示すものであり、国を愛することを記述することがなぜ強要だと言えるのか不思議です。
どうしても軍国主義と関連付けたいのでしょう。
私は、国民すべてが気概なく国を愛しているといえるようになって欲しいと切望します。
私もチュニジアに知人がおり、5年ほど前にカルタゴに行ってきました。
ブーゲンビリアの咲き乱れる丘と、業火の跡が痛々しい遺跡のコントラストが強烈だった記憶があります。
2006/11/25 07:17
おはようございます。パソコンを久々に開きました。
愛国心は強要されるものではないというのは確かにそうですが、では今の自国の誇りも無く、他国の誇る物すら簡単に傷つけるような人間を大量に生み出し続ける今の教育を変えるという気持ちはあなた方には無いのか?と聞きたいですな。
世界遺産や、芸術的建物を見に行って日本語の落書きで埋め尽くされているところを何度もみて、そのたびに恥ずかしさと怒りで本当にその国や未来の世界に申し訳ない気持ちになるので。
2006/11/25 10:03
カオスさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。過分なお言葉を頂き恐縮です。
愛国心が軍国主義と結びつくという、強引な論理の飛躍には呆れかえってしまいますね。普通の教育をしていれば、愛国心なんて自然に身につくはずです。
歪められた思想の元に歪な教育を施してきた日教組と一部マスコミのの罪は大きいです。
カオスさんもカルタゴ遺跡にいらしたのですか!もしも写真などありましたら、カオスさんのブログでアップしていただけると嬉しいです。
2006/11/25 10:08
g6236さん、おなようございます。
日本語の落書きってそんなに酷いのですか?
これでは仏教遺跡を破壊したタリバンの批判などできないです。
つくずく教育は「読み書きそろばん」を教えるだけではないと実感できます。
2006/11/26 01:06
小龍景光様
懐かしくなってチュニジア旅行のときの画像(解像度低い・・・)を開いていました。もっとカルタゴの勉強して旅行すればよかったと痛感しました。
小龍景光様のことばで、この機会にカルタゴを調べて当時の思い出を綴ってみようと思っています。
いつになるか分かりませんが・・・
ちなみに友人の結婚式に出席のための旅行だったのですが、そのチュニジア人の友人(イスラム教徒)はその後イギリスで働いており、9.11テロの煽りで色々と大変だったようです。
宗教のある国の人は、愛国心と宗教心がどのように精神上で配置されているのか、私にはわかりません。
ときどき無宗教というのは少し淋しいと感じることがあります。
2006/11/26 01:40
カオスさん
チェニジアのエントリーを楽しみにしていますね!
宗教心と愛国心って矛盾する概念ではないと思います。宗教心って突き詰めれば生活の規範のようなものじゃないでしょうか?
そして、日本人も潜在意識の中で神道や仏教(神仏習合の考え方がDNAに刻み込まれているのでほとんど同義ですが)の考え方が染みついているんだと思います。
特に神道ってあまりにも生活に密着しているので、それが宗教心だと気がついていないだけじゃないかと思うようになりました。
そうでなければ、初詣の賑わいの説明がつかないと思います。先日、初めて伊勢神宮に参拝したのですが、神域に入るだけで無条件で敬虔な気持ちになりました。伊勢に限らず、どこのお社に行っても同じですが・・・。
2006/11/26 02:08
小龍景光様
>特に神道ってあまりにも生活に密着しているので、それが宗教心だと気がついていないだけじゃないかと思うようになりました。
なるほど!
私は幼い頃から、母親が毎朝仏壇と神棚にお供えするのを見て育ちました。法事もお墓参りも日常生活に溶け込んでいたのでしょう。あえて特別なものではなかったのだと再確認しました。
イスラム教徒が朝夕丁寧にお祈りするのも特別のものではないのでしょう。
そして愛国心も同じように普通に生活に密着しているのでしょうね。
日本でここまで議論されている方が不思議でしょう。
伊勢神宮はやはり独特な空気がありますね。
豪雪の時期に訪れ、朱塗りの太鼓橋で難儀した記憶が。
私は最近では、東照宮に行ってみたいと思っています。
あとは、家族で富士登山してご来光を拝みたいです。
こう書いていると私にもかなり宗教心があるようですね。
日本は、無宗教というよりは(良くも悪くも)無タブー宗教なのかも知れませんね。
2006/11/26 02:42
カオスさん
同感です。たぶん、日本人にとってはキリスト教の神も八百万の神々のうちの人柱なんだと思います。だからこそクリスマスも何の違和感もなく楽しめてしまうんでしょうね。
日本人が無宗教というのは完全な錯覚だと思います。ややもすると野辺の雑草にも神性かんじてしまうのですから、一神教の信徒とは異なった意味で、宗教心に篤いのだと思います。
富士の登山はグッドアイデアだと思います。私も一度だけカナダ人の友人と登りましたが、何とも言えない清々しさを感じて帰ってきました。
真の愛国教育とは「奸臣ども、これ討ってよし」 [美しい国とは?]
この記事が示すように、一部に戦前の国粋的愛国心、統治権力に対する貢献のみが愛国心である、という教育を進めようとする勢力は存在する。しかし、より危険なことは、そんなこと全く知らないが、愛国心大事だよ…
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by 商人LV・6
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